クマゼミの鳴き声にカーボンニュートラルを思う
私は1961年生まれ。そろそろ引退が見えている年齢です。
生まれて64回目の夏を迎えて、しみじみと思うことは、年々暑くなっているんじゃないの?ということ。
子供の頃は、夏という季節が好きで、まあそれは「夏休み」というイベントがあったせいではあるわけですが、夏休みの宿題を7月末までに全て片付けて、8月まるまる一月を遊び呆けるという日々を過ごしていました。
父や母の実家がある富山県に帰省すると、ほぼ丸一日昆虫採集に明け暮れる日々だったりしました。
早朝はカブトムシやクワガタムシを追いかけ、日中は蝉時雨が鳴り響く林の中をアブラゼミを追いかけまわし、日暮れになってくると幹の高いところで鳴いているツクツクホウシを獲るために木に登るというスケジュールでした。
当時も今も、JR名古屋駅に徒歩で20分ぐらいの名古屋市内に住んでいますが、私が子供の頃の50年以上前は田んぼがあったりもしましたし、それなりに昆虫採集ができる環境ではありました。別に父や母の実家について行かなくても同じような昆虫採集はできたような時代でした。
いつの間にか大人になり(幾つになっても厨二病かもしれませんが)、昆虫採集など全くしないどこらか、「テラフォーマー」を読んだせいで、昆虫はもう勘弁してほしいというような大人になってしまいました。
全国的にも有名な名古屋の厳しい夏ですが、果たして子供の頃はこんなに暑かっただろうかと疑問に思ってしまいます。
そんな気温のことよりも、私が持って名古屋の夏で気になることは「蝉の鳴き声」です。
子供の頃は梅雨の晴れ間にニイニイゼミが鳴き始め、7月中旬になるとアブラゼミがジージーと鳴き出したかと思うとあっという間に蝉時雨の日々が続いていたような・・・。
ところが、今ではニイニイゼミの鳴き声は聞くこともなくなってしまいました。
アブラゼミは相変わらずですが、アブラゼミよりでかい音量で鳴いている「クマゼミ」の鳴き声が気になって仕方がありません。
子供の頃にクマゼミの鳴き声を私は聞いたことがないのです。
ニイニイゼミの鳴き声を聞かなくなって、しばらくしてからクマゼミの鳴き声を聞くようになって気がしています。
この50年で名古屋市内で蝉の生態系に影響を及ぼすようなことが何かあったのでしょうか・・・。
専門書や気象庁の過去データ、昆虫生態学の論文などを片端から読み込んでみたのですが……いやはや、驚きました。
結論から申し上げますと、「九州や四国などから運ばれてきた植木や苗木にくっついてやってきたクマゼミが、この50年で激変した名古屋の温暖化と都市環境によって『爆発的に繁殖できる天国』を手に入れ、逆にニイニイゼミにとっては『生き残れない過酷な場所』へと変わってしまっていた」のです。
私が幼少期に肌で感じていたあの蝉たちの変化は、単なる気のせいでもノスタルジーでもありませんでした。私たちがこの50年間で地球環境や都市環境に与えてきた膨大な負荷が、そのまま「蝉の交替劇」として目の前に現れていたのです。
今回は、私が自分で調べて分かった「クマゼミがどこから来て、なぜ名古屋で増えたのかという真相」、そしてそこから見えてきた地球温暖化の恐ろしいメカニズム、さらには私たちが取り組むべき「カーボンニュートラル」と、株式会社ナカムラが挑戦している「カーボンニュートラルキャンディー」への想いについて、じっくりとお話ししたいと思います。
第1章 判明した「クマゼミの侵入経路」と「50年の蝉交替劇」の真相
まず、一番疑問だったのは「そもそも子供の頃に名古屋にいなかったクマゼミが、一体どこから湧いて出てきたのか?」ということでした。
1. クマゼミはどこから来たのか?(植木や苗木による人為的移入)
調べてみると、昆虫生態学の世界では非常に明快な答えが出ていました。
クマゼミは本来、九州や四国、和歌山といった西日本や南国の温暖な地域に生息する大型のセミです。飛翔能力は高いものの、自力で何百キロも飛んで名古屋まで大群でやってきたわけではありません。
実は、都市開発や公園の整備、ビルや住宅の緑化、街路樹の植樹などのために、九州や西日本などの温暖な地域から運ばれてきた「樹木の苗木や植木(庭木)」、そしてその「根元の土」が運搬船やトラックに乗って名古屋へと大量に持ち込まれたのです。
クマゼミのメスは枯れ枝や樹皮の中に卵を産み付けます。また、生まれた幼虫は樹木の根元の土の中で数年間を過ごします。つまり、人間が「緑化のため」「美しい景観のため」と西日本から買い付けて運んできた樹木や苗木に、クマゼミの卵や幼虫が「タダ乗り」して名古屋に引っ越してきたわけです。

2. なぜ昔は定着できず、今は爆発的に増えたのか?(温暖化と孵化時期のズレ)
「じゃあ昔から植木は運ばれていたはずなのに、なぜ昔は増えなかったのか?」という疑問が当然湧きますよね。ここからが本当に面白い(そして恐ろしい)ところでした。
かつて(私が小学生だった1970年前後)、仮に九州から植木と一緒にクマゼミの卵が名古屋にやってきても、名古屋の冬は寒すぎました。しかし、最新の研究によると、単に「冬の寒さで死ぬ」こと以上に重要な決定打がありました。それは「春の気温と孵化(ふか)のタイミング」です。
クマゼミの幼虫は、非常に小さくて乾燥に弱いため、「雨が多く土が柔らかい梅雨の時期」に卵から生まれて土に潜らなければ、一瞬で干からびて死んでしまいます。 昔の名古屋は春の気温が低かったため、卵が成長するスピードが遅く、孵化する頃にはすでに梅雨が明けてしまっていました。カラカラに乾いた夏の土に潜れず、せっかく生まれても幼虫のほとんどが死滅していたのです。
ところが、気象庁のデータを調べてみると、名古屋の平均気温は過去100年で約2.7℃も上昇していました。 二酸化炭素(CO2)の排出による「地球温暖化」と、アスファルトやエアコンの排熱による「ヒートアイランド現象」によって、名古屋の春から初夏にかけての気温が著しく上がったのです。
気温が上がったことで卵の成長速度が劇的に早まり、クマゼミの幼虫がちょうど雨の多い「梅雨の時期」にぴったり合わせて孵化できるようになりました。柔らかい土に無数の幼虫が首尾よく潜り込めるようになり、生存率が爆発的に跳ね上がったわけです。
さらに、クマゼミの幼虫は他のセミに比べて「比較的硬い土でも潜り込める強い前足」を持っています。公園の土が踏み固められ、都市化が進んだ名古屋の環境は、まさにクマゼミにとって願ったり叶ったりの「完璧なホームグラウンド」へと変貌を遂げていたのです。
3. ニイニイゼミの失踪と「土の乾燥」
一方で、あんなに身近だったニイニイゼミはなぜいなくなってしまったのか。ここにも、都市化と気候変動の残酷な関係がありました。
ニイニイゼミは小型で愛くるしい蝉ですが、幼虫の体に泥を塗って身を守るという独特の生態を持っています。そのため、ニイニイゼミの幼虫が生きていくためには「適度な湿り気を含んだ、柔らかい土」が絶対に欠かせません。
私が子供の頃、JR名古屋駅から徒歩20分ほどの我が家の近所にも、田んぼや未舗装の土の地面、雑木林がたくさん残っていました。雨が降れば土は潤い、ニイニイゼミにとっては最高の住処(すみか)だったのです。
しかし、その後の50年で街全体がアスファルトやコンクリートで覆われました。雨水は地下にしみ込むことなく側溝へ流され、都市の土壌は急速に乾燥していきました。さらに、ヒートアイランド現象の熱が土の中の水分を容赦なく干上がらせます。

カラカラに乾いて硬くなった土の中では、ニイニイゼミの幼虫は地中に潜ることも、地上に出てくることもできなくなります。こうして、環境の変化に敏感だったニイニイゼミは、名古屋の街から静かに姿を消していったのです。
九州からの植木に乗ってやってきたクマゼミが、温暖化という追い風に乗って大繁栄し、昔からの住人だったニイニイゼミが都市の乾燥化で追い出されてしまった――。「あの子供時代の思い出の風景が消えた背景には、こんなドラマがあったのか……」と、調べながら深く納得すると同時に、胸が痛む思いがしました。
第2章 二酸化炭素(CO2)が増えると、なぜ地球が温まるのか?
では、なぜこれほどまでに気温が上がってしまったのか。その元凶が、私たちが日々排出している二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガスです。
文系人間の私ですが、これも分かりやすく理解するために物理的なメカニズムをしっかりと調べました。
1. 温室効果とエネルギーのバランス
本来、地球は太陽から届く熱(可視光線などの短波放射)を受けて温まり、その熱を赤外線(長波放射)として宇宙空間へ逃がすことで、温度のバランスを保っています。
この時、大気中にあるCO2やメタン、水蒸気といった気体が、地表から出た赤外線の一部を吸収し、再び地表に向けて熱を跳ね返す役割を果たしています。これが「自然の温室効果」です。この温室効果のおかげで、地球の平均気温は生息に適した約15℃前後に保たれています。もし温室効果ガスがゼロだったら、地球はマイナス18℃の極寒の世界になってしまいます。
しかし、問題は人間が産業革命以降、化石燃料(石油や石炭)を燃やしまくったことです。
地中に眠っていた炭素を一気に大気中へ吐き出した結果、産業革命前に約280 ppm(0.028%)だった大気中のCO2濃度は、現在では420 ppmを超えてしまいました。大気中にCO2という「分厚い毛布」が追加されたような状態になり、宇宙へ逃げるはずだった熱が地球の表面付近に閉じ込められてしまったのです。これが地球温暖化の正体です。
2. 都市の熱と組み合わさる悪循環
この地球規模のCO2による温暖化が、コンクリートだらけの名古屋という都市部で起こるとどうなるか。
アスファルトは太陽熱を吸収して夜間も放熱し続け、エアコンや車からは熱気が吐き出されます。地球温暖化とヒートアイランド現象がタッグを組むことで、名古屋の冬からは寒さが消え、春から夏の気温が跳ね上がり、クマゼミの孵化期と梅雨がぴったり重なるという悪循環が完成しました。
クマゼミが喜んで大合唱し、ニイニイゼミが倒れていった裏には、このような温室効果ガスの急増という全地球的な問題が存在していたのです。
第3章 虫嫌いの私でも恐怖した、昆虫生態系の崩壊
大人になり、『テラフォーマーズ』という漫画(火星で巨大化したゴキブリと人類が戦う漫画です)を読んだ影響で、「虫なんて全員どこかへ行ってくれればいいのに」と本気で思っていた時期がありました。
しかし、今回の調査で昆虫の生態系について詳しく知れば知るほど、「虫がいなくなったら、人間なんて一発で全滅するのではないか」という恐ろしい現実に直面することになりました。
1. 昆虫は自分の体温を調節できない「外温動物」
人間や犬猫などの哺乳類は、汗をかいたり震えたりして体温を一定(約37℃前後)に保つ生理機構を持っています。しかし、昆虫は「外温動物(変温動物)」であり、自分の体温をコントロールする仕組みを持っていません。
つまり、外の気温がそのまま虫の体温になります。
気温が上がると、昆虫の体内の酵素反応が加速し、代謝スピードが強制的に上がります。代謝が上がるということは、それだけ猛烈にエネルギーを消費するということです。十分な餌がない状態で猛暑に晒されると、昆虫は自らの体内の脂質やタンパク質を使い果たし、餓死したり不妊になったりします。
また、近年の猛暑で葉の表面やアスファルトが40℃〜50℃を超えると、動けない卵や幼虫は体内のタンパク質が変性し、一瞬で死んでしまいます。
2. 「温度・サイズ則」と「ジャンクフード化した葉っぱ」
さらに調べていて「へぇー!」と唸らされたのが、気温上昇が昆虫の体サイズや食生活に与える影響です。
- 温度・サイズ 高い気温の中で育った昆虫は、成長速度自体は早くなるものの、成虫になったときの体が小さくなってしまう現象(温度・サイズ則)が世界中で確認されています。体が小さくなると産める卵の数が減り、飛翔能力も落ちるため、種全体が弱体化していきます。
- C/N比(炭素・窒素比)の上昇 大気中のCO2が増えると、植物は光合成を盛んに行って体に炭素(C)を溜め込みます。しかし、土からの窒素(N)吸収量は増えないため、葉っぱの中の窒素割合が下がります。 昆虫の幼虫にとって、成長に必要なタンパク質の元になる「窒素」は命の綱です。CO2が増えた世界の葉っぱは、昆虫にとって「栄養スカスカのジャンクフード」になってしまっているのです。幼虫は生き残るために大量の葉を食べ続けなければならず、成長が遅れて天敵に食べられるリスクが高まります。
3. 季節の時計が狂う「フェノロジーのミスマッチ」
生物たちは何百万年もの時間をかけて、お互いの活動時期をぴったり合わせて生きてきました。しかし、急激な温暖化はこの「調和の時計」を破壊しています。
例えば、暖冬によって春の花が10日早く咲いてしまったとします。ところが、その花粉を運ぶハナバチの羽化が「日の長さ」を基準に作動していた場合、ハナバチが地上に出てきた時にはすでに花は散っています。ハナバチは餓死し、植物は受粉できずに子孫を残せません。
また、樹木が早めに芽吹いて青虫(チョウやガの幼虫)が早期発生すると、その青虫をヒナの餌にしているシジュウカラなどの小鳥たちの繁殖期とズレが生じます。一番餌が必要な時期に青虫が蛹になってしまっており、鳥のヒナが大量に餓死するという事態が各地の森で起きています。
第4章 昆虫が消えると、私たちの食卓も消える
「でもやっぱり虫なんて少ない方が快適じゃないですか?」
昔の私ならそう言っていたかもしれません。しかし、昆虫の衰退は巡り巡って、私たちの胃袋と経済に直接跳ね返ってきます。
1. 果物も野菜も食べられなくなる(ポリネーターの危機)
私たちが日常的に食べている作物のうち、実に約75%(種数ベース)が、ミツバチやマルハナバチ、アブ、チョウなどの昆虫による受粉(ポリネーターの働き)に依存しています。
リンゴ、イチゴ、トマト、カボチャ、コーヒー、カカオ、アーモンド……これらはすべて、昆虫が花粉を運んでくれるからこそ実を結びます。世界中の受粉媒介者が減少することで発生する農業被害は、毎年数十兆円規模に上ると推計されています。昆虫が消えるということは、私たちが美味しい食べ物を失い、世界的な食料危機に直面するということです。

2. 「自然の掃除屋」がいなくなり、土が死ぬ
昆虫は、倒木や落ち葉、動物の排泄物や死骸を細かく砕き、土へと還す「分解者(掃除屋)」でもあります。
もしフンチュウやシデムシ、シロアリ、ハエの幼虫などが消えてしまったら、森林や畑には落ち葉や死骸が積み重なったままになり、土への栄養還元が止まってしまいます。土が肥沃さを失えば、植物も育たなくなり、地球の二酸化炭素吸収能力そのものが枯渇していきます。
虫を勘弁してほしいどころか、私たちは昆虫という巨大な生命のネットワークに生かされていたわけです。
第5章 飴屋のオヤジ社長が考える「カーボンニュートラル」
こうして自ら色々と調べていくうちに、冒頭の疑問は「地球の未来をどうするか」という大きな課題へと繋がっていきました。
私たちが直面しているこの気候変動と生態系の危機を止める唯一の道筋、それこそがタイトルにも掲げた「カーボンニュートラル(温室効果ガス排出量実質ゼロ)」です。
2015年のパリ協定では、世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて1.5℃以内に抑える目標が立てられました。そのためには、2050年までに社会全体でCO2排出量を実質ゼロにしなければなりません。
発電所を太陽光や風力に変えたり、工場を省エネ化したり、電気自動車を普及させたりといった国や大企業の取り組みはもちろん不可欠です。しかし、30年以上社長をやってきた私がつくづく思うのは、「社会を変えるのは、結局のところ一人ひとりの日常の選択と共感である」ということです。
「環境のために我慢しましょう」「電気を使うな、車に乗るな」という「我慢の環境運動」は絶対に長続きしません。人が楽しく、美味しく、心地よく過ごしながら、結果として地球環境にも貢献できている――そんなポジティブな仕組みこそが求められているのではないでしょうか。
そこで株式会社ナカムラとしてたどり着いたのが、自社で企画・流通を手掛けるお菓子、とりわけ「カーボンニュートラルキャンディー」の普及という挑戦でした。

第6章 一粒の飴から始まる変革:カーボンニュートラルキャンディーの可能性
「キャンディーひと粒で地球温暖化が止まるわけないでしょう」
そう笑われるかもしれません。しかし、駄菓子や半生菓子、清涼飲料の文化を長年見つめてきた私から言わせれば、一粒の飴には社会の意識を変えるもの凄いパワーが秘められています。
1. カーボンニュートラルキャンディーとは何か?
私たちが普段何気なく口にしているキャンディーですが、そのライフサイクル全体(原料の栽培、工場の加熱エネルギー、プラスチック包装、トラック輸送)を辿ると、確実に一定のCO2が排出されています。
これに対し、私たちが普及を進めているカーボンニュートラルキャンディーは、以下のような仕組みで作られています。
- 省エネ工場とグリーン電力:製造工場でのエネルギー効率を極限まで高め、太陽光などの再生可能エネルギーを使用します。
- 環境配慮型原料・包装:持続可能な農法で作られた原材料を選び、包装資材にはバイオマスプラスチックや紙パッケージを採用します。
- カーボン・オフセット:どうしても削減しきれないわずかなCO2排出量について、適切な森林保全活動などから生まれた「J-クレジット」を購入・相殺(オフセット)し、製品全体として「CO2排出量実質ゼロ」を実現します。
つまり、一粒食べても地球に新たなCO2の負荷をかけない飴なのです。
2. なぜキャンディーなのか?
この取り組みの真の狙いは、CO2の物理的な削減量だけではありません。「脱炭素という概念を、誰でも美味しく、手軽に体験できる最高のコミュニケーションツールになる」という点にあります。
- 夏の現場での熱中症対策 近年の猛暑に伴い、工事現場や工場、イベント会場、学校などで、熱中症対策の「塩飴」は欠かせない存在になっています。 温暖化による猛暑という「被害」の現場で、作業員の方や参加者が手にする熱中症対策の飴。それが「地球をこれ以上温めないカーボンニュートラルキャンディー」であったならどうでしょうか。汗を拭いながら飴を口に含んだ時、「この暑さを止めるために、自分がいま手にあるものから地球に優しい選択をしているんだ」という実感と気づきが生まれます。
- 企業の姿勢を伝える優しいノベルティ 企業が「SDGsをやっています」「脱炭素に取り組んでいます」と分厚いレポートを出しても、なかなか一般の人には届きません。しかし、オフィスの受付や展示会で「この飴、CO2排出量が実質ゼロで作られたキャンディーなんです」と手渡されたらどうでしょう。一粒の甘さとともに、その企業の姿勢が親しみやすく、ストレートに心に響きます。
- 子供たちへの最高の食育・環境教育 私が子供の頃に富山でカブトムシを追いかけたように、子供たちは体験から学びます。イベントなどでカーボンニュートラルキャンディーを食べながら、「この飴はね、地球の空気を汚さないように作られているんだよ」という話を聞く。それは教科書を読むよりもずっと深く、子供たちの心に環境への優しさを育みます。

買い物袋の有料化によってマイバッグが当たり前になったように、日常で配られる飴やノベルティが「カーボンニュートラルであるのが当たり前」という文化を作りたい。
「我慢して環境を守る」のではなく、「美味しい飴を食べながら、気づけば地球環境と生態系を守る仲間になっている」。そんな仕組みを広げていくことこそが、私たちが次の世代に手渡せる価値だと信じています。
結び:クマゼミの声を聞きながら、未来を思う
1961年生まれの私が、幼少期の夏の思い出と名古屋の街の変化から抱いた疑問。
「この50年間に名古屋市内で蝉の生態系に影響を及ぼすようなことが何かあったのでしょうか……」
自分で調べた結果、そこには「西日本から運ばれた植木に乗ってきたクマゼミが、温暖化で孵化時期が梅雨にぴったり重なるようになって大繁殖した」という人為的な移入と気候変動が複雑に絡み合ったドラマがありました。
名古屋の夏を覆い尽くすクマゼミの大合唱は、私にとっては少し騒々しく感じられますが、見方を変えれば、地球が私たちが暮らす街を通じて発している「これ以上、熱を溜め込まないでくれ!」という切実なメッセージなのかもしれません。
しかし、人間が50年かけて変えてしまった環境であるならば、これからの50年で、私たちが再び持続可能な地球へと戻していくことだってできるはずです。
大掛かりな産業の改革はもちろん進めていかなければなりませんが、それと同時に、私たちが日常の中で「地球に優しい選択」を楽しんで重ねていくことが何より大切です。
現場で手にする一粒のカーボンニュートラルキャンディー。その小さな選択の積み重ねが、大気中のCO2上昇を抑え、猛暑の熱帯夜を和らげ、いつかカラカラに乾いた名古屋の土に柔らかな湿り気を取り戻す力となります。
私たちが歩みを止めることなく脱炭素社会へと進んだその先に、いつの日か、あのクマゼミの激しい大合唱が少し静まり、梅雨の晴れ間の木陰から、ニイニイゼミの愛おしい声が再び聞こえてくる夏が訪れる――。
そんな未来を夢見ながら、今日も一粒のキャンディーに想いを込めて、社長としての仕事を続けていこうと思います。